|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
イアン・アンドリュー・ロバート・スチュワート(Ian Andrew Robert Stewart, 1938年7月18日 - 1985年12月12日)はスコットランド出身の音楽家、ピアニスト、キーボーディスト。愛称は''スチュ''。6人目のストーンズとしても知られる。 ==人物== イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズの結成時メンバーの一人で、ピアノを担当。しかしストーンズのレコードデビュー前に脱退しており、これはプロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムの「イアンのルックスがバンドの雰囲気に合わない」という意見により外されたためといわれている。この時にアンドリューはロード・マネージャー及びピアノのレコーディングならばバンドに参加しても良いと持ち掛け、スチュワートはこれに従った。キース・リチャーズはバンドの著書において「スチュはそれが商業的な判断だと理解していたのか、あるいは立場が変わってもバンドに参加する事自体に変わりないと受け止めたのかも知れない。とにかく、俺が彼の立場なら返事は『ファック・ユー』だ。ところが彼は受け入れた。彼は最も大きな心を持っていたんだ」と語っている。 以降も裏方としてバンドを支え、セッション・ピアニストとしてもレコーディングやライブに参加、時にはメンバー間のいざこざを収めるなどメンバーからの信頼も厚く「6人目のストーンズ」とも呼ばれる。ミック・ジャガーは「スチュは俺達が最も満足して欲しい男の1人だった。曲を書いてもリハーサルをしても、彼のOKが必要だったんだ」とコメントし、キース・リチャーズは自著にて「彼の人をまとめる能力と知識が無ければ、俺達はどこにも進めない」と述べている。スチュワートは、度々起きたメンバー間のトラブルをその都度仲を取り持つことで極力摩擦が起きないよう配慮していたが、1985年12月12日に死去。一説には、このことがメンバー間に大きな溝を作るきっかけとなったともいわれていて、これ以降、ミックとキースがメディアを通じて争うにまで発展していったことや、メンバー中一番の紳士として知られるチャーリー・ワッツがこの時期アルコール中毒に陥っていた際両者を殴りつけるなど、それぞれに関係が悪化の一途を辿っているなどが挙げられる。 1981年には唯一となるソロ・アルバム『Rocket 88』を発表している。演奏そのものは収録曲中1曲ピアノで参加したのみであるが、自身の好きな音楽だけを徹底して追及して制作されたもので、全面的にプロデューサーとしての役割を強く持たせたリーダー・アルバムとなっている。このために結成されたバンドはスチュワート以外に、同じバンドメイトであるチャーリー・ワッツ(ドラム)他、アレクシス・コーナー(ギター、ヴォーカル)やジャック・ブルース(ベース、ヴォーカル)などが参加。バンド名もRocket88となっていて、アルバム・ジャケットはチャーリーが描いたものが使われている。また、2012年にはスチュワートから影響されピアノを弾き始めたというベン・ウォーターズの呼びかけによって実現したトリビュート・アルバム『ブギー・4・スチュ』が発売。このアルバムにはミック、キース、チャーリー、ロン・ウッド他、元メンバーだったビル・ワイマンのストーンズの面々が各曲に参加、チャーリーのみ全面的に参加している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イアン・スチュワート (ミュージシャン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|